2011年12月31日土曜日

大晦日

大晦日の夜です。葉月と楓夏は自分達で布団を敷き、もう寝ました。マッキーは雀乃を寝かしつけに寝室に行きました。
私は今年5月に41歳を迎えましたが、これほど感慨深い大晦日は多分初めてです。
いままでも自分なりの節目とか環境の変化(思えば20代の頃は大晦日も元旦も仕事だったなぁ)とかによって多少の違いはありますが、それなりに一年を振り返ってみては、「ああ、今年も無事一年過ごすことができた。」とほっと胸をなでおろすことが大晦日の持つ意味でした。


震災以来、我家では毎日食事の前にはお祈りの時間を設ける習慣を持つようになりました。3.11の地震直後、気仙沼のマッキーの実家と連絡が取れなくなり、ラジオニュース(我家にはテレビがない)と非力なインターネット(当時の我家はダイヤル回線だった(笑)。)だけを頼りに必死に情報を集めましたがそこからは何の解決の糸口も見付けられず、気の重い夕食の時間になったときに、「我家で今日からご飯のときにお祈りをするようにします。」と決め、気仙沼にいて消息のわからないマッキーの姉夫婦と姪っ子の無事を神様に祈りました。その時はマッキーのお腹(雀乃が入っていた)も大きく、私も身動き取れない状態だったので、それ以外に自分たちにできることはありませんでした。
それから、ようやく義姉家族の無事の知らせが届いたのは14日の朝でした。今思えば随分早く連絡が取れたものだと思いますが、その3日間の間は本当に長く感じました。その10日後の23日、待望の雀乃が産まれました。バタバタと慌しかった割には出産予定日にちゃんと産まれてきました。そんな2011年がもうすぐ終わろうとしています。

本当にこの一年を家族が皆無事に過ごせたことに感謝します。
またこの世に住む小さな子供たちや赤ん坊、まだお母さんのお腹の中に居る赤ちゃんたちが元気にすくすく育つことが出来ますよう、どうかこれからも御見守りください。

2011年11月14日月曜日

「つむぎ日和」が開催されました

昨日、糸魚川市新鉄にある西性寺様のご本堂で「つむぎ日和」が開催されました。

当日、夜の12時から準備を始め、何とか朝9時半には全てのパンを焼き終わりました。そして荷物と焼きたてのパンと子どもたちを車に積み、急いで会場に向かいます。開場である西性寺に到着したのは10時半過ぎ。もう既にちらほらとお客様の姿も見られたので、閑散としたイベントになる恐れはなさそうだとひとまず安心。そんな中、他のイベント参加者の方たちがほぼ準備を終えているところにやって来て、主催者の方たちに挨拶をしながらバタバタと搬入をする姿は、何とも要領の悪い夫婦に見られたことでしょう(笑)。

さて、開場時間の11時です。本堂の入り口の扉の隙間から、チラリと外を覗くと、なんと!お寺の前には元旦の初詣のような長蛇の列ができています。こ、これは予想に反して大混雑するぞ。
「つむぎ日和!はじめるよー!」
との主催者の掛け声と同時に戸が開けられ、本堂の中は満員御礼の人だかりとなりました。そして、当店のパンは30分を待たずに完売となってしまいました。購入できなかった方、申し訳ありませんでした。

主催者の方が用意して、入り口辺りに設置していた案内用の250枚のパンフレットも全てなくなってしまったらしく、正確な来場者数は判りませんが、500人以上は来られたのではないでしょうか。糸魚川にもこのようなイベントの潜在的な需要があることが身にしみてわかることができた一日でした。

来場された方々、どうもありがとうございました。そして主催者および参加者の皆さん、お疲れさまでした。

2011年11月8日火曜日

<新たな食品中の放射性物質の規制値について国に要望します>について

11月2日、新潟県は国に対し、現在の食品に対する暫定基準値を改め、ICRPの勧告を遵守するように求める要望書を発表しました。

<新たな食品中の放射性物質の規制値について国に要望します>

現在、東京電力福島第一原子力発電所の事故により放出された大量の放射性物質が広範囲に拡散し、生活圏の汚染や農林水産物の汚染によって、多くの国民が不安にさらされています。
一方、食品等に定められている現在の暫定規制値は、事故直後の緊急事態など、生きるためにやむを得ず摂取するような際の基準です。
新潟県は国に対し、国民の健康と安全、そして日本の信用を守っていくために、国際的にも信頼される基準に戻すよう要望してきたところです。
このような中、10月28日、厚生労働大臣は「新たな規制値設定のための基本的な考え方」を示し、食品から許容できる線量を年間1ミリシーベルトに引き下げることを基本に検討することとしました。
しかしながら、従来、原子炉等規制法などでは、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に基づき、外部被ばくと内部被ばく線量を合わせた一般公衆の被ばく限度を年間1ミリシーベルトとしており、従来の規制値と整合性をもった、内部被ばくと外部被ばくの合計を踏まえた規制値とすべきと考えます。
また、乳幼児からおとなまで一律の基準とすることなく、特に子どもへの影響について十分に考慮したうえで、子どもについては別基準を設定すべきと考えます。
今後、厚生労働省で新たな規制値の設定について議論していくにあたっては、これらのことに十分配慮し、より安全サイドにたった議論を行うよう要請します。


以上、
今後このような放射線防護の考えが浸透し、人々、特に小さな子供や妊婦の無駄な被曝が低減されることを望みます。
http://chiji.pref.niigata.jp/files/23.11.02.3.pdf

2011年11月6日日曜日

水道人足がありました

今日、年に一度の水道人足(すいどうにんそく)が行われました。僕の住む集落では裏手に面する山中の何ヶ所からか水を引き、それを生活用水に使用しています。今日はあいにくの雨天でしたが、各家屋から12名が集まり、集水枡・配管・貯水タンクなどの清掃とメンテナンスを行いました。作業は思った以上に順調に進み、11時前には無事終了しました。

と思いきや、帰宅して着替え終わった頃に水が出ない事が発覚しました。やむなく雨の降る中で再び集合し、四苦八苦の挙句に何とか水を通すことが出来ました。

写真は本日の鬼門であった、貯水タンクから各家屋へ水を送る本管のバルブの交換を行っているところです。皆さんお疲れさまでした。

2011年10月31日月曜日

サツマイモ収穫

春に苗植えをしたサツマイモを収穫しました。大きさはバラバラ、ひび割れや虫食い(ネズミ?)もありましたが、昨年、一昨年に比べると玉の大きさも、実る数も増えていることから、年を追うごとに土壌が肥えてきたものと思われます。

さて、このサツマイモですが、11月13日(日)の「つむぎ日和」で限定販売するサツマイモのパンに使用いたしますので、どうぞお楽しみに。

2011年10月12日水曜日

イベントで出店します



配達先のお客さんから、糸魚川市内で行われる可愛いイベントにお誘いを頂き、柄にもなく出店することになりました。
詳細はリンク先からご覧いただくとして、皆様どうぞお誘い合わせの上、お越しくださいませませ!

2011年10月10日月曜日

野菜の種取り・オクラ

形の良いオクラの実をこのように乾燥するまで残しておくと、簡単に種を採ることができます。これを来年の播種用に保管しておきます。

2011年10月5日水曜日

木を切りにいきました

午前中、パンを焼く際に使用する薪の元になる丸太を切り出しに友人の山に行きました。昨年、間伐された杉が倒れているのをチェンソーでサクサク玉切り(写真の状態、40センチメートル位に切る)にしていきます。

僕が使用しているチェンソーはゼノアのGZ3500Tというものでアクセルスロットルが背中の部分についているのが特徴です。前後のバランスが良く、それほど重くもないので片手も扱えます。このチェンソーは実は2台目で、初めは中古の古いものを使ってみたのですが、それはアクセルスロットルが尻尾の辺りに付いていて、とても重いものでした。重いチェンソーは持っているだけでくたくたになってしまうのです。

なので、このチェンソーが発売された際にも、2台ある必要はないからどうしようかと迷ったのですが、実際使ってみると雲泥の差で、包丁でキュウリをサクサク切るように丸太が切れるので、今はこちらしか使っていません。

こうやって切り出した丸太を車に乗せて家まで運び、薪割りをして手ごろな大きさになったものをしばらく乾燥させてから、ようやく薪として使えるようになるのです。

2011年10月1日土曜日

食品放射能の日本政府による暫定規制値について

facebook内で設立された「 こどもたちを放射能から守る科学者ネットワーク」により、食品放射能の日本政府による暫定規制値についての提言が発表されました。


http://www.facebook.com/notes/%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%82%92%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AE%88%E3%82%8B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF/%E9%A3%9F%E5%93%81%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%9A%AB%E5%AE%9A%E8%A6%8F%E5%88%B6%E5%80%A4%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-version-10/172219609526122

この中で「 こどもたちを放射能から守る科学者ネットワーク」は日本政府に対し、次の提言を行っています。

  •  国民的議論の上、食品放射能の規制値を平常時のレベルに設定し直す。
  • 身体の形成・発達途上にあるこどもに関しては、別個に、より厳しい規制値を設ける。
  • Sr90(ストロンチウム90) についても明示的に規制値を設ける。
  • 民間には、合理的に達成可能な限り、規制値よりも小さな独自の基準値を設け、自主的に検査することを求める。
とても丁寧に書かれた文章ですので是非読んでみて、よければ感想を聞かせてください。

2011年9月1日木曜日

オーバーヒートinスーパー原信

朝から快晴に恵まれた8月の末日。午前中の片づけやら何やらがひと段落したところで、妻と3女(5ヶ月)と一緒にサンバーちゃん(我家の車の愛称)で出かけることになりました。今日の運転は妻。助手席はチャイルドシートに乗せられた3女、僕は後部座席に座ることに。

まず到着したのは、チビ(茶トラ猫10歳)の餌を購入するために糸魚川市唯一の動物病院、「大竹獣医院」。チビは昔、尿管結石を患って以来、市販のカリカリ(固形の猫の餌のこと。カリカリと音を立てながら食べる)は禁止され、病院食生活なのです。

次に市役所。長女と次女のこども医療受診券を配布してもらいに。次に148号線沿いのホームセンター「ひらせい」。先日子供たちがお祭りの金魚すくいですくってきた、金魚のエアポンプと水草を買いにきたのですが、あいにく水草は売り切れ。仕方ないのでそれは後日、家の裏の池まで僕が採りに行くことになりました。

さて、この辺りでそろそろお昼時となったのでどこかで外食をしようということになりました。糸魚川市内は必然的に(?)食べるところも限られていることから、あまり外食先を決定する際にあれこれと迷うことはありません。そして今日は妻も僕もラーメンが食べたいということで押上の「みそ膳」に向かうことになりました。

市役所から糸魚川総合病院方面に向かって道(なんという名前の道なのか知らないのです)を走っている途中、ちょうど移転のために閉店中の「スーパー原信(信用金庫ではなくスーパーマーケットです)」の交差点に差し掛かった頃、「プシューゥゥゥ・・・」というという妙な音が運転席の下辺りから聞こえてきました。僕は、
「なんか変な音しなかった?」
と運転中の妻に尋ねました。信号が黄色から赤に変わったので妻が車を停車させるとメーターパネル内の水温計が10時くらいの位置まで跳ね上がっています。
「やばいっ!オーバーヒートしかけてる。サンバーちゃん原信に止めてっ!!」
と僕が言うと妻は、
「え、どうすればいいの!?真っ直ぐ?左?どっちに行けばいいの?」
と混乱している様子。
「大丈夫、ゆっくりゆっくり左折して原信の駐車場に入れて!」

信号が青に変わりました。妻はギアをニュートラルから1速に入れ、そっとアクセルを踏み込み、注意深く左折して、スーパー原信の駐車場に車を入れました。時刻は正午近くなので日陰になるところは見当たりません。とりあえず邪魔にならなそうなところに止め、車から降りてみると、バンパーの下から駐車場の入り口に向かって、刑事ドラマで怪我をした犯人が逃走するときに点々と残していった血痕のような跡が。。。恐るおそる車体の下を覗くとラジエターの背後から、これまたグレート・ムタの毒霧攻撃のように冷却水(赤いLLC液)が噴出していました。どうやら、これはどう足掻いても僕の手には負えなさそうです。

行きつけの(?)自動車整備工場に連絡をし、おおよその症状と今いる場所を伝えると、整備工場の社長は今すぐにこちらに向かい、そのまま工場まで運びましょうと言ってくれました。ひとまずはこの最悪の状態から脱することはできそうだ、と妻も僕も少し安心しました。

安心するとお腹が空いてきました。そういえば昼食がまだでした。はっ!そうだ、僕らはラーメンを食べるために「みそ膳」に向かっていたのだ。それなのに何が嬉しくてこんな炎天下でレッカー用のトラックを待たなければならないのだ。そんなことを考えると胃袋がグネグネと形を変えてラーメンの丼を飲み込むほどの大きさに膨張しようとするのが判りました。

整備工場の社長は15分ほどでスーパー原信の駐車場に到着しました。ただし社長が乗ってきたのは車をレッカー移動するためのトラックではなく、ダイハツの軽バンでした。僕は社長に、急いで来てくれて本当に助かりましたと礼を言い、それからひと通り状況を説明し、もう一度礼を言いました。それから、
「ところでトラックは後で来るのですか?」
と尋ねました。社長はニコニコしながら、
「これで引っ張りますから。」
と自分の乗ってきた車を指しました。僕は少し頭の中を整理し直し、それから尋ねました。
「僕、牽引されるの初めてなんですけど。」
と言うと、やはり社長はニコニコしながらブレーキとハンドルだけを操作するようにと説明してくれました。社長はさっさと二台の車をロープで繋ぎ、妻と3女を自分の車に乗せて言いました。
「じゃあ行きましょう。」
そうして僕たちはようやくスーパー原信の駐車場から脱出することができました。

工場までの牽引されての道のりはとても神経をすり減らすものでした。なぜなら車はエンジンを切った状態ですとブレーキの効きが悪くなります。つまり止まりにくくなるのです。さらに牽引ロープの長さはせいぜい3メートルほどです。つまりよっぽど前車のブレーキに神経を集中しなければ、すぐにぶつかってしまいそうなのです。正直、これほど車の運転で緊張したのは自動車教習所の路上実習以来でした。

そうして僕たちはサンバーちゃんを工場に預け、社長の用意してくれた代車で無事帰ってきました。途中立ち寄ったスーパーマーケット「早川ハピー」で妻が買ってきた昼ごはんは、惣菜のコロッケが4つとカップラーメンが2つでした。やはり妻の胃袋も沸々とラーメンを欲していたのだ、とテーブルの上のラーメンを見て僕は思いました。

2011年8月21日日曜日

シロちゃん当番

小学校一年生の長女のクラスでは一学期からウサギを飼っています。名前はシロちゃんといいます。夏休みの間は生徒が交代でシロちゃんの世話をしなければならず、しかも一年生は15人しかいないので夏休みの間にシロちゃん当番が3回もまわってきます。

本当にウサギの世話ができるのだろうかと半信半疑でしたが、古い餌を捨てて新しい餌と交換したり、床上の糞をほうきで丁寧にかき集めたり、テキパキと仕事をこなす姿を見せてくれました。

この調子で我家の猫の世話も率先して行ってくれれば良いのですが。

2011年8月20日土曜日

パソコンのメンテナンス?

ここ数ヶ月の間パソコンの調子があまり良くありませんでした。症状は電源スイッチを入れても時々パソコンが立ち上がらないというものでした。

普段、電化製品や車、はたまた体の調子に至るまで、取りあえず調子が悪い時にはパソコンを立ち上げ、インターネットで原因と対策を調べることが習慣となっている人間にとって、パソコンの調子が悪くなることほど厄介なことはありません。なぜなら、我家にはパソコンは1台しかなく、パソコンがうまく立ち上がらないとインターネットで何かを調べることができなくなるからです。

以前使っていたパソコンが同じような症状で壊れたとき、機械に詳しい知人から「内蔵電池が寿命になると立ち上がらなくなる」という話を聞かされていたので、取りあえず全ての接続を外し、パソコンのカバーを取り外しにかかりました。しかし、これがまた、なかなかすんなりとは進まず、プラスチックカバーの引っ掛かりの部分を丁寧に外すのがとても難しい、が、四苦八苦の末になんとかカバーは外せ(外れ)ようやく内部の基盤や配線の様子が見えるようになりました。薄っぺらい形のボタン電池は耳かきで簡単に取り外せましたが、テスターで電圧を測ると3Vを超えていました。ということは、現在パソコンの調子がおかしいのは内蔵電池のせいではないということです。

さて。。。。。どうしよう。ふと、冷却ファンの辺りを見るとなかなか念気のこもった埃がたくさんこびりついているようなので取りあえずそれらを掃除機できれいに吸い取り、普段全く使うことのない内蔵デバイスを取り外して通気性を向上させることにしました。でもいくらなんでもこんなので直ったりしないだろうなと考えていたものの、それから約一ヶ月がたちますが、今のところ順調に起動していますっ!


2011年8月3日水曜日

骨髄ドナーコーディネートについて

夕方、骨髄移植コーディネーターのWさんから電話がありました。
「先日の血液検査の結果、岡崎さんのDNAタイピングが患者の方の一致しませんでしたのでコーディネートは終了とさせて頂きます。また機会がございましたらよろしくお願いいたします。」

ことの始まりは6月の末ごろに届けられたA4サイズの封筒からでした。無理やり郵便受けに押し込められたオレンジ色の大きな封筒の差出人のところには、『(財)骨髄移植推進財団』と書かれていました。これはつまり骨髄バンクからのお知らせなのだろう、と僕は思いました。差出人の上のところには「重要・親展」と赤い判子が押され、さらにその上には「大切なお知らせです。至急開封してください。」と書かれていました。急いで開封すると、数枚の書類とアンケート用紙、返信用の封筒、「骨髄提供者となられる方へのご説明書」というタイトルの小冊子が入っていました。さっと書類に目を通すと、僕が以前骨髄バンクに登録していた僕自身の白血球の型が、名前も顔も知らない、しかしこの世のどこかで病気を患っているひとりの人の白血球の型と一致したのだということが判りました。

僕が骨髄バンクに登録をしたのは仙台に住んでいた頃で、まだ妻との結婚のケの字も考えていなかった頃のことでした。付き合い始めてしばらく経った頃、彼女(現妻)が骨髄バンクに登録したいと言いだしたので、休みの日のデートついでに近くの大きな病院に行き、二人でドナー登録を済ませてきたのでした。

それからもう10年以上が経ちます。今日まで骨髄バンクセンターから届けられたものといえば、住所や電話番号、氏名などの変更確認のための書類や定期発行されている骨髄バンクニュースくらいでした。だから僕は骨髄バンクというのは宝くじのようなもので、登録はしてみても、どこかの他人と一致するなどということはほとんど無いに等しいものなのだ、とずっと思っていました。

僕は海外への渡航歴や病歴などを数枚のアンケート用紙に記入し、それらを返信用の封筒に入れ、妻と実家の母に骨髄提供についての同意を確認してから、封筒をポストに投函しました。

数日後、Wさんから初めての電話がありました。Wさんは骨髄移植推進財団=骨髄バンクのコーディネーターで、患者さん+医師側とドナーとの間に入って様々な連絡や調整を行ってくれます。1度目の電話はWさんからの自己紹介で、
「これから岡崎さんのコーディネートを担当させて頂きます、W と申します。よろしくお願いいたします。」
というものでした。とても明るく、丁寧な方だという印象がありました。2度目の電話では、前のアンケートの内容の確認と今後の大まかなスケジュールについての説明で、後日また連絡をくれるとのことでした。3度目の電話では7月27日に上越市内の新潟県立病院で面談と血液検査を行うことが決まりました。4度目の電話は面談の前日で、待ち合わせ場所と目印のリボン、持参するものについての連絡をくれました。

当日、僕は車で県立病院に向かいましたが、人と待ち合わせをすることが数年ぶりであることにとても緊張していました。14:00に待ち合わせ場所の正面玄関に到着すると、Wさんは名札を付けた黄色いリボンを首に下げ、そこに立っていました。簡単に挨拶を交わし、面談を行う部屋へ向かうため、普段は一般の人が入っていけない、医師や看護師がバタバタと仕事をしている中を移動していきます。ようやく一室に通され、面談が始まりました。
「骨髄バンクには登録はしていましたが、実際に適合する人が出てくるなんて思っても見ませんでした。」
まず僕が差し当たりの感想を述べると、
「そんなことありませんよ。中には2回も一致する方もいらっしゃいます。」
とWさんは言いました
。そうして、骨髄とは何かという話や実際に骨髄提供を行った方からの感想などを話してくれました。僕にとっては自分が今までかかわったことのない世界の話で、それはとても面白いものでした。中でも特に驚いたのは、骨髄液(造血幹細胞)移植後の患者さんの血液はABOの型も含めて、DNAレベルでドナーと全く同じ血液に変わるという話でした。また、骨髄液を採取する際、全身麻酔をした上で腰の辺りの左右2箇所に切開をし、その穴からさらに骨盤に100箇所ほど注射針を突き刺すという話を聞いて血の気が失せるような気がしました。しかしWさんの話では、
「男性は全身麻酔の際に尿道に差し込むカテーテルの方が痛いらしいわよ。」
ということでした。そのようにしてあっという間に時間が過ぎていきましたが、最後にもう一つ、今日は血液検査を行いますということでした。現時点では僕の白血球の型と患者さんの白血球の型との一致はまだ不完全で、それをDNAタイピングという方法で完全に一致するかどうかを調べます。血液検査はその為に行われるのだそうです。この検査でお互いの白血球の型が一致しなければコーディネートは終了となります。

今日のWさんからの電話はDNAタイピングを行った結果、僕の白血球の型と患者さんの白血球の型が完全に一致するものではありませんでした。少し残念な反面、ちょっとほっとしているところもあるのです。だって尿道のカテーテルって、めちゃめちゃビビッていたんですから。

2011年8月2日火曜日

夏風邪

 今日はパン焼きの日。僕は朝3時にかまどに火を入れ、パンをこね始めます。孤独な作業なので必ずラジオを聞きながら作業を行っています。今朝のFM新潟『BIG SPECIAL』はジャズの特集だったので今日はそれを聴きながら作業をしていました。
 若い(?)頃と比較すると音楽を聴くときの気構えのようなものは随分と衰えてしまったような気がします。まず、CDやレコード、MDを部屋のオーディオ装置で聞くことがほとんど無くなりました。現在の主な音源のよりどころはFMラジオで、わざわざCDをかけるのは唯一車の中だけです。日常生活の線上にパン焼きや後片付けなどのスケジュールがあり、平行線上にラジオ番組のタイムテーブルがあります。いやむしろ、ラジオのタイムテーブルを基準に自分のスケジュールを合わせているといったほうが良いでしょう。そうして選んだラジオ番組を聴きながら、「あ、これ懐かしい」とか「今の曲いいね」などという他愛もない感想を妻に向けてもらすのがちょっとした楽しみです。
 そんな僕が最高に至福を感じるのは、夏ならば畑仕事をしながら、冬ならば雪下ろしをしながら聞く、土曜日午前9:00からのNHK-FM「世界の快適音楽セレクション」です。これはギターデュオのゴンチチの二人が毎回のテーマに沿った音楽を持ち寄ってオンエアするという番組で、この二人のおじさんの掛け合いや選曲がこれ以上ないほどにツボにはまっています。それを屋外で一人で聞くのです。散歩ついでの公園のベンチでも良い、魚釣りをしながらでも良いのでどなたか是非お試しください。
 そうそうパン焼きの話でした。4:30頃になると妻が起きだし、朝ごはんと小一の長女のお弁当を作り始めます。ところが起きてきた妻がどうにも調子が悪いという。それでもお弁当と朝ごはんをつくり、子供たちを送っていくまでは頑張ってくれたのですがその後ダウン。熱を測ると39度。我家ではここ一週間ほど長女→次女→三女と順番に風邪やら手足口病やら突発性発心やらでちょっとてんてこ舞いな状態だったのですが、とうとう妻にまで魔の手が伸びてしまいました。こりゃマズイ、パン焼きやら袋詰めやらお昼ごはんやら僕一人でやらなきゃなりません。
 幸い今日はパンの注文数が少なかったので何とか配達まで一人で乗り切ることができましたが、子供たちを迎えにいって帰ってきた頃にはもうクタクタです。さあ頑張って晩ごはん作って、みんなで食べて、食器洗って、子供たちをお風呂に入れて、寝かせて。。。。。
 やっとみんなが寝てくれたので、ブログ更新です。

2011年7月27日水曜日

特定検診2011

 前日の20:00から絶食し、朝食を抜いたまま糸魚川総合病院に行きました。何故なら今日は年に一度の特定健康診断の日なのです。自営業者は40歳になると自治体の健康診断を無料で受けられます。しかもそれには胃・肺・大腸のガン検診も含まれます。41歳の僕は2回目の検診。


 昨年、40歳の誕生日を迎えたところ、市から無料健康診断の案内が届きました。昔会社勤めをしていた頃には年に一度、半ば強制的に健康診断が行われていたので、自分の体に欠陥があるにせよ無いにせよ、とりあえずは現状を把握することはできていましたが、独立(といっても自営業)してからは自分の意思で健康診断を受診しなければならなくなり、そうするとスケジュールを調べるのがおっくうであったり、いつの間にか申請の手続きの日が過ぎてしまっていたりして、すっかり自己健康管理から遠ざかっていました。
 案内をもらったものの、さすがに10年間のブランクがあると、どこか体に悪いところが見つかってもおかしくありません。そう考えるとますます弱気になってしまい、やっぱり今年も行かなくてもいいかなと思いかけたのですが、ふと検査項目の中に好奇心をそそる内容が目に留まったのです。それは胃がん検診で飲む、あの悪評高い「バリウム」というやつです。一度飲んでみたい。
 健康診断当日、身長体重測定から始まり、血圧測定、レントゲン、採血と検査をこなし、いよいよ待ちに待った胃がん検診です。ちょっとわくわくしながら、「バリウム飲むの初めてなんですけど」と告げると、担当の看護士さんは「最初にこの発泡剤を飲んでからその後にバリウムを飲んでください。ゆっくりで構いませんからね。飲んでからはゲップをしないでくださいね」と説明してくれました。さあ、お猪口ほどの計量カップに入ったラムネのような発泡剤をクイッと飲み、続いて念願のバリウムも味わいつつも一気に飲み干しました。ふーん、ぜんぜん不味くありません。いや、むしろどちらかというと美味しい部類に入るのではないでしょうか。ただ発泡剤がおなかの中でシュワシュワと泡立つのでおなかがどんどん膨れてきます。こ、これは苦しいっ! その後、宇宙飛行士が三半規管の訓練に用いるような機械の上で、ぐるぐる回転させられながら、世間一般でバリウムが不味いとつぶやかれる背景には、バリウム自体の味の問題以上に、発泡ラムネとの飲み合わせの問題、それとこの三半規管訓練機による宇宙酔いに要因があったに違いないと思いをめぐらせていたのでした。

 長くなっちゃいましたが、今年もまあ内容は同じもので、身長体重、血圧、レントゲン、採血して、ラムネ飲んで、グルグル回されて。。。で午前中を終えました。

2011年7月23日土曜日

夏休みが始まる

 昨日、葉月は学校で育てていたアサガオを持って帰ってきました。つまり、彼女は今日から夏休みに入ったのです。
 とは云ったものの、平日は学校内の児童クラブに通う予定なので、毎日学校に行くことは変わりないのですが、車での送り迎えやお弁当持参など、平常の通学にはない負担が親御には圧し掛かってくるのです。
 子供の頃には判らなかったことですが、親の気持ちとしては早く夏休みが終わって、普通に学校に通う日が帰ってきて欲しいものです。

2011年7月22日金曜日

パンの紹介

自家製酵母の発酵パン:全粒粉:いちじくとオレンジピール


 Ragged ovenのパンを初めて注文をされるという方に、どれが美味しいかしらと尋ねられた際、とりあえずはこれがお勧めですと推薦してみるのがこのパンです。食べるサイズにカットし、軽くトーストしたこのパンを、パクリとかじった瞬間、口鼻に広がるオレンジの香りがなにげに衝撃的だからです。
 古今東西、なかなかこういうパンには出会えません。そんなにお勧めするほどにこのパンはおいしいです!
 高いけど。。。

2011年7月18日月曜日

畑に花が咲いていました。

 あまり見慣れませんがこれはニンジンの花です。後ろに見える大きな葉っぱはトウモロコシのもので、手前の細い茎と細い葉っぱがニンジンのものです。見づらくてスミマセン。
 これは昨年蒔いた種がすっかり忘れられた頃に発芽し、そのまま冬を越して、春になってから再び伸びて花を付けたものだと思われます。ちゃんと調べてみないと判りませんが、ニンジンはセリ科の植物なので、もしかすると多年草なのかも知れません。
 もしそうだとすれば、庭にニンジンの種を蒔いておけば、毎年花を咲かせてくれる(ニンジンを収穫すると花は咲きません)なんてこともあり得ます。こ、これはガーデニング界に新たな旋風を巻き起こす可能性を秘めているかも知れません。

2011年7月14日木曜日

畑仕事中は熱射病に気をつけましょう

 日中は畑で草刈をするにも1時間が限界になって来ました。こんなときはあまり無理をしてはいけません。
 7月は野菜がぐんぐん育つ時期ですがそれ以上に周りの雑草もぐんぐん伸びる時期です。ですから雑草に負けないように野菜の周りの草を刈ってやります。左は5月に移植したカボチャ。右は見づらいですが笹のように伸びているのがショウガの葉っぱです。元気に育てー!

水番の記録

 用水路沿いに山中を歩いていると、果物の熟したような甘酸っぱい匂いがフッと漂ってくる所があります。これはきっとどこかに美味しい果物が実っているに違いないと思いたくなりますが、匂いの元は写真のクヌギの樹にあります。このクヌギの表皮が剥がれたり裂けたりしたところから、樹液がにじみ出て、それが発酵することで先の甘い匂いを発するのです。
 日が上る前に来ればひょっとするとカブトムシやクワガタが集まっているのを見つけられるかも知れませんが、日中にそばを歩くときにはスズメバチに気を付けなければなりません。

2011年7月11日月曜日

梅雨明け・トマトの実

 畑のトマトに緑色の小さな実が付きました。早く大きくなれ!
 今年は新潟県も例年より早く梅雨があけました。猛暑と水不足が心配されます

2011年7月10日日曜日

人足(nin-soku)

 今日は午後から東側用水の人足が行われました。人足というのは、集落の人たち(主に家長)が日を決めて集まり、地域の自治活動を行うことで、その活動の域は非常に多岐に渡ります。
 今日行われたのは、僕が水番を行っている東側用水の草刈作業と用水の土砂崩れ部分にパイプを埋設する作業です。作業は2班に別れて行われました。パイプの埋設は土木作業に秀でた人たち4名が行い、残りの5名は草刈作業です。僕は草刈作業でした。
 写真はパイプ埋設作業後の様子です。土嚢の下に直径60センチ、長さ4メートル、厚さ1.5センチメートルの塩ビのパイプが見えます。こうしておけば冬にこの部分で土砂崩れが起きても用水が埋もれることはありません。すばらしい。
 僕が糸魚川に来て始めて参加した人足は、集落内の水道管を補修する作業でした。水道管は地中に埋めてあるので、シャベルでそれを掘り当て、破損箇所を自分達で交換するのを見て、僕はみんなの作業スキルが異常に高いことに驚きました。
 作業後は決まって慰労会が行われます。僕はもともとお酒の席が苦手なほうでしたが、ここに来てから集会所に集まりうだうだとお酒を飲むのも良いものだと思うようになりました。

上早川地域防災訓練2011

 「午前8:30、焼山岳が噴火しました。住民の皆さんは直ちに避難してください。」
 という放送とともに防災訓練が始まりました。
 焼山岳(やけやま岳)は私達が住む早川流域の上流に位置する、標高2400メートルの活火山です。天気が良ければ我家からでも目視で山頂に煙が立ち上るのが見えます。そしてこの焼山岳で『火砕流』が発生した場合に早川流域の多くの民家が甚大な被害に見舞われると考えられています。
 今日はそういった災害に備えるための防災訓練が『焼山の里ふれあいセンター』で行われました。センター内には降雨体験装置や地震体験装置などのアトラクションもあり、なかなか楽しい防災訓練でした。ただ7月のこの時期に屋外で3時間の訓練は、同時に熱射との戦いでもあり、お年寄りの多いこの地域ではちょっと過酷なスケジュールだったと思われます。

2011年7月8日金曜日

見通しの良いT字路

 今日はパンの日。
 午後からの配達もあと少しで終わりそうだという時のことでした。


 国道8号線から148号線に向かうには、いつもちょっと入り組んだ抜け道を通ります。今日も姫川大橋を富山側から上越側に渡り、一つ目の信号を右折、そして在来線の線路の下をグネグネとくぐった先には比較的見通しの良いT字路があります。Tの字の下のほうから、優先道路に入り右折しなければなりませんでしたので、いつものように左右を確認し、いつものように右折しました。
 すると、どこに隠れていたのか、ひとりのお巡りさんがニコニコしながら現れ、僕の車をわき道へ誘導しています。
「あのね、あそこちゃんと一時停止してくださいね。ちょっと免許書見せてください。」


 ああ、やってしまった。
 違反金7,000円也。

2011年7月7日木曜日

今どきの回覧板

 2週間に一度くらいの割合で集落内の回覧板がまわってきます。
 内容は「振り込め詐欺に気をつけましょう」とか「苗の注文は農協で」とか、あとは地域の行事のお知らせなどです。
 町住まいの人たちにとってはとても懐かしいものなのかも知れませんが、今どきの回覧板は昔とは違い、まずこの昭和レトロな表紙を開けるとiPadのようなタッチパネルが出てきます。それには専用の回覧板用アプリが搭載されていて、それで農協共済の入出金額を確認したり、野菜の苗を購入したり、はたまた農地の転用手続きや売買もできたりします。いやー、すごいですね。


 なんていうのはウソです。昔と何ひとつ変わっていません(笑)。。。

水番の記録

 水番の最中、何箇所か小さな川を歩いて渡らなければならないところがあります。以前はその小川の水中に住んでいたオタマジャクシが最近成体になって現れるようになりました。初めの頃はこの辺りでよく見かけるアカガエルだと思っていたのですが、今日改めてよく観察してみると手足の指先に吸盤が見えます。なんだこれは?と思い、写真を撮り、家に帰ってからネットで調べてみた結果、カジカガエルであることが判りました。
 それによると「地味な体色とは対照的に、大変美しい声で鳴きます。かつては、水盤で飼われその鳴き声を鑑賞されてもいました。おそらく、最古の両生類飼育だと思われます。」ということでした。一度、鳴き声を聞いてみたいです。


参考url http://www.hkr.ne.jp/~rieokun/frog/kazika.htm

2011年7月6日水曜日

滋養・MILK・美味

 いつもパンを配達しているお宅から、これ美味しいのよ、とおせんべいを頂きました。
 何十年もの間、時代の波に耐えてきたものだけが持つ、簡素で美しいデザインだと思います。

梅雨の晴れ間

 玄関先のすだれの上で、どこからどうやって這い上がってきたのだろうか、巨大なオニヤンマが羽化しているところに遭遇しました。時々、田んぼや畑などで作業に没頭していると、近づいてきたトンボが耳元で「ズババババ」とホバリングすることがあるのですが、背後にヘリコプターが降下してきたのかと思うほどの大きな音に、思わず腰を抜かしそうになったことがあります。
 また、この季節、油断して玄関の扉や窓を開けたままにしていると、わずか10センチメートルの隙間からでも、猛スピードでツバメが飛び込んできて、部屋の中を超高速で旋回していくことがあるので気を付けなければなりません。

父の夢と地震

 僕は一人で実家の近くの道を歩いていました。仕事の帰り道でしたが、まだ日差しはとても明るく、周りには木々の緑や色とりどりの花が溢れていて、優しく吹く風がとても気持ちの良い、穏やかな午後のようでした。そんな中を僕は近所の家の生垣を眺めたりしながら、静かに家までの道のりを歩いていました。
 向こうの方から麦藁帽子をかぶった一人の女性が自転車に乗ってゆっくりと近づいてきました。すれ違う時に一瞬だけ目を合わせたその女性は、アイボリー色のノースリーブのワンピースを着て、白いサンダルを履いた、女優の小泉今日子さんでした。僕は、「へえ、こんなこともあるのだなあ」と感心しながらも、そのまま歩いて家に向かいました。
 十字路を家のある方向へ左に曲がる際、もと来た道の方をちらりと振り返ると、今日子さんも自転車を止め、不思議そうにこちらを振り返っていました。それでも僕は再び前に向きなおって歩き始め、間もなく自宅の玄関の前にたどり着きました。すると今日子さんは大事な落とし物でも届けにきたような勢いで、僕の側に自転車を滑り込ませ、ブレーキをかけて止まりました。表情はとても明るく、確か彼女は45歳くらいだったと思いますが、とても生き生きとした顔立ちをしていました。
「こんにちは。」
と彼女の方から声をかけてきました。とても機嫌のよさそうな声でした。
「こんにちは。確か以前映画のお仕事でご一緒しましたね。」
と僕は答えました。ああ、そうだ僕は以前彼女と一緒に映画の仕事をしたことがあったのだ、とそのとき初めて気付きました。彼女がそのことを覚えていたのかどうかはよく判りませんが、とても親しげな笑顔を見せる彼女は健康的な魅力に溢れていて、僕は彼女の細い腕や胸元の辺りに自然と自分の視線が惹き込まれていくのが判りました。
「ここは僕の実家なんです。良ければお茶でもどうですか。」
と僕が尋ねると彼女は、
「ねえ、お酒は飲まないの?」
と屈託のない口調で言いました。僕は少し困ったような顔をしながら、
「少しぐらいなら。でも今日子さんよりははるかに弱いです。」
と言って笑いました。
 その時、すっと玄関の扉が開き、開いた扉の向こうには葉月(娘)他界したはずの父が一緒に座り込んでいました。葉月は少し疲れた様子で、熱があるようでした。
 と、ここで僕は目を覚ましました。時計を見ると午前2:00でした。
 あぁ、夢か(僕は映画の仕事などしたこともない)。できればもう少し小泉今日子とのアバンチュールを楽しみたかったのになぁ。と後悔しながらも、気になることがひとつありました。それは父が僕の夢の中に出てきたことです。前に父が僕の夢の中に出てきたのは今年の3月の初め頃でした。あまりにも重苦しい内容だったのですが、教訓のようのものを夢の中の父が伝えてくれたことが嬉しくて僕は布団の中で声を上げて泣いていました。
 東日本大震災が起きてから、父が夢に出てきたことと大震災とは何か因果関係があるのではないだろうか、という考えが払拭できずにいました。いわゆる『虫の知らせ』といわれているものについてです。これはもちろん非科学的なことだというのは承知ですが、まあ、とにかく夢に父が登場したときは、とりあえず記録しておこうと思い、早朝からパソコンに向かってキーを叩くのでした。
2011.7.5 早朝
追記
 昨日はパンを焼く日で、結局、途中まで書いてから時間がなくなり、記事を投稿できませんでした。そして5日の夜に和歌山県を震源にした地震が起こったことで、「マジかよ?」とちょっとビビッてしまいました(笑)。まあ、偶然が重なるということもあるのでそれ以上深く考えず、また次に父の夢を見たときに検証を続けたいと思います。
 明るく楽しいブログだったのにプチ・カルトな路線に走ってしまった。。。反省。
2011.7.6 9:15

2011年7月3日日曜日

実父の七回忌を迎えて

 子供の頃、父(注1)に連れられて、その当時はまだ賑やかだった隣市の商店街の中にある大きな映画館に映画を見に行きました。その時に上映されていたのは、後にテレビでも話題に上っていたニカウ氏(注2)主演の『ブッシュマン』という映画と、もうひとつは香港のドタバタコメディ映画で、今では子供映画でしか見られなくなってしまった二本立て同時上映という形をとったものでした。そしてその時は『ブッシュマン』がメインで香港コメディはおまけのような位置付けだったと思います。
 僕たちが映画館に到着したのは随分遅い時刻で、ちょうど上映されている香港コメディもすでにクライマックスに入っているようでした。ですから残すところ、その当日まるまる一本上映されるのは『ブッシュマン』のみとなっていたのです。父は券売所で、それはそれは当たり前のように「今やっている映画はもう終わりのほうなんやから、ちょっと負けてよ」と従業員相手に映画の入場券を値切っていました。その結果がどうであったのかはもう覚えていないのですが、この『ブッシュマン』という映画のことを思い出すたびに同時に蘇るのが、父が映画のチケットを値切ろうとしていた姿です。
 父はクラシック音楽が好きで、家族写真をとても丁寧に整理し、きちんとアルバムに仕上げるとても几帳面な人物でした。だから僕はずっと、父の『値切る』という行為に子供ごころに違和感を感じていました。多分、父親を威厳のあるものであり、崇高な存在として捉えていたのだと思います。しかしやはり父は電気屋さんで家電を購入するときも「展示品なんやから、ちょっと負けてよ」と嬉しそうに値切り、人生の終盤に入ってから海外旅行を楽しむようになると、さらに拍車がかかり、諸外国で「ちょっと負けてよ」の台詞を連発しては買い物を楽しんでいたのでした。
 7月2日はそんな父の7回忌でした。1日の夜に糸魚川を出発し、2日の朝に和歌山の僕の実家に到着、午前中にお坊さんが来てくれてお経を上げてくれました。集まってくれた親戚の人たちと近くのフランス料理店で「もうおなかいっぱいで食べられません」という位のお昼ご飯を食べ、そのまま1泊してから3日の昼に和歌山を出発。21時頃に糸魚川に到着しました。みんなお疲れさま。


(注1・2)表題下の写真は僕の父ではなく『ブッシュマン』に主演していたニカウ氏です。
(注2)画像元 http://homepage.mac.com/ubik_factory/cinema/bushman.jpg

2011年6月26日日曜日

蛍の季節

 我家の周りには田んぼが多くあり、今の時期、夜の8時頃になると、まだ薄っすらと青みの残る闇の中に美しく舞い散る蛍を楽しむことができます(ちょっと自慢)。6月中はゲンジボタルとヘイケボタルが混在していますが、しばらくするとヘイケボタルのみになります。
 また車に乗って少し離れた河原まで足を伸ばすと、ちょっと信じられないほどの数の蛍が車のハザードランプに反応して押し寄せてきます。ただその光景を写真に収めるのはとても難しいので、ぜひ本物を見に来て欲しいですね。

タチアオイの花が咲きました

 玄関先のタチアオイが今年も花を付けてくれました。
 4年前、この集落に引っ越して来てからの最初の夏。そこかしこに花を咲かせ、人々の目を楽しませるこのタチアオイを初めて見て、いつか我家にも咲かせたいと思い、こっそりと種をかき集めて玄関先に丁寧に蒔いたのを思い出します。


 一緒に写っているのは、花の中に大きなドングリバチを見つけて一瞬身じろぐ次女です。

2011年6月24日金曜日

パンの紹介


自家製酵母の発酵パン:ライ麦粉:プレーン

 ライ麦パンは小麦、ライ麦全粒粉、塩、酵母(酵母を培養する際、餌として「てんさい糖或いはきび糖」が与えられている)、水で作られています。
ライ麦はもともと、寒くて小麦が育ちにくい土地で栽培されていた麦の一種です。テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」の中で、ハイジが目の見えないペーターのお婆さんに「固い黒パンじゃなくては柔らかい白パンを食べさせたい」との思いからフランクフルトに行くことを決意する場面がありましたが、この「黒パン」と云うのはライ麦の含有量の多いどっしりとしたパンのことではないかと思われます(たぶん)。

 「ライ麦パンはワインに合いますよねぇ」などと尋ねられて、「え、ええそうですね。アハハ」などと適当な返事をしたりもしますが、本当のところ我家ではその組み合わせで食べることはありません。ワインを飲むと頭が痛くなるからです(笑)。だからチーズやハムやレタスなんかをはさんでサンドイッチにすることが多く、飲み物はコーヒーや牛乳があれば十分です。

2011年6月23日木曜日

給食試食会

 小学一年生の葉月(長女6歳)の通う学校での給食試食会に参加してきました。
 父兄はまず体育館で子供達と一緒に体育の授業を受け、親子で赤組と白組に分かれて、ミニ運動会を行い、存分にお腹を空かせてからのお待ちかねの給食となりました。
 今日の献立はパン、牛乳、汁物、サラダ、鶏肉。特にこの鶏肉はトマトとニンニクをうまく絡めてあってとても美味しいものでした。おかわりしたかったなぁ。


 給食が終わり父兄はそのまま解散となったのですが、なんだかおかしな感じがするなあと思っていたら、理由がわかりました。勉強時間や休み時間の区切りを知らせるチャイムが鳴らないのです。だから授業時間と休憩時間が徐々にフェードアウト・フェードインしていくといった感じで時間が進行していくのです。ナンか変だなこれ。

2011年6月20日月曜日

熱が出た


楓夏(次女4歳)が熱を出して保育園を早退して帰ってきました。先生の話では39度ほどまで上がったのだそうです。
園では今のところ流行っている病気に心当たりはないそうなので、土日の休みの日にいっぱい遊びすぎたのかな?
絵は父の日の楓夏からのプレゼントです。早く良くなってね。

2011年6月18日土曜日

子供がたーくさん!

 早朝、仙台に住む友人家族から電話がありました。実際のところは昨日の深夜に着信があったらしく、目が覚めてから折り返しかけ直したところが繋がらず、しばらくしてから再度折り返しの電話をもらったという事になります。
 深夜に電話をかけてくるなんて、どんな大事な話かと聞いてみると、「この土日で高速道路料金1000円のサービスが終わるので、最後にどこかに出かけようという話になり、今糸魚川に向かっているところ」という話でありました。え!?こっちに向かってるの?
 うーむ、仙台から糸魚川までは大体500キロメートルくらいあるのですが、その距離を家族4人で「最後だからちょっと行ってみよう」と思えるのはこの家族の行動力のなせる業なのだと思います。


 そしてまた運の良いことに、今日は我家に早川に住む子供達がたくさん集まった日でもあり、お昼過ぎには寺子屋のような賑わいになってしまったのでした。

2011年6月15日水曜日

薪を割る

 これがパンを焼く際に使う薪です。主に長女の同級生のお父さんからもらった間伐材の杉を利用しています。これをチェンソーで玉切りにして、家まで運び、それを斧で割り、十分に乾燥させてから使用します。薪割りという作業自体は大してしんどいものではありません。大変なのはやはり調達・運搬だと思います。


 薪として使用する木には大きく分けて二つの種類があります。ひとつは杉や松などの針葉樹、もうひとつはナラやブナなどの広葉樹です。自宅で薪ストーブや暖炉に使用する人や愛好家の人たちの間では広葉樹の薪が持てはやされ、針葉樹は敬遠されがちです。理由は針葉樹の薪を燃やした際に煤(ヤニ)が大量に発生すること(煙突内が汚れる)、火持ちが良くないこと(小まめに薪を投入しなければならない)、広葉樹のほうが香りがいいこと(リンゴの木の薪はリンゴの匂いがするらしい)などが挙げられます。では何故、Ragged ovenでは杉の薪を使うのか。
 第一に調達が簡単であることです。山に杉を植えている人であれば何年かに一度、間伐という作業を行わなければなりません。その際に出る間伐材も買い取ってもらえる(それでも安いらしい)ほど大きく育っていれば良いのですが、そうでない場合は自分達で処分するか、その場に放っておくかしなければなりません。そのようなものをもらって来ているのです。先ほど書いたように多くの人は広葉樹の薪を嗜好するので、あまり需要のない杉を使うことで調達に必要な労力を大幅に節減することができています。
 もうひとつの理由は乾燥が早いということです。水分を含んだ生の木はなかなか燃えません。無理やり燃やそうとしてもまず木の中に含まれた水分が蒸発してからしか燃えないので、かまどの温度が上がりません。ですから大量に薪をストックする場所のない我家では乾燥の早い杉の薪が重宝されているのです。


 薪割りはなかなか楽しい作業です。どうぞ我家に遊びに来た際は薪割りを堪能していってください。などと旨いことを言いながら自分だけラクをしようとする筆者でありました。

水番の記録

雨が降った翌日の早川流域の景色です。手前には坪野集落、その先にはまだ雪の残る焼山岳が見えます。

2011年6月13日月曜日

上コミ・花壇作業

早朝6:30から、上コミ(上早川コミュニティ推進協議会)の集まりで、ふれあいセンターの花壇の花の植え替えを行いました。
花壇内の雑草を刈り、花が咲き終わったチューリップの球根を掘り出し、耕したところにマリーゴールドやサルビアなどの花を植えていくというもので、作業は2日に分けて行われました。

2011年6月12日日曜日

救命講習に参加しました

小学校の夏休みといえばプールです。そのプールが始まると父兄もプール監視員として交代で参加しなければなりません。その際に救命に関する知識があったほうが良いであろうとのPTAの呼びかけで、市の消防本部で開催された救命講習に参加してきました。
えー彼が心肺蘇生法の練習をするためのマネキン君です。毎日少しずつ髪の毛が伸びるので3ヶ月に一回は散髪してあげなければなりません。(注1)
肩のところに置いている赤いカバンには<AED:自動体外式除細動器>という機械が入っています。これ一度使ってみたかったんです。AEDの特筆すべきところはとりあえず電源スイッチを押せば扱い方を機械が指示してくれることです。ただしAEDを使うにせよ使わないにせよ心肺蘇生法ができることが前提のようです。


(注1)ウソです。

2011年6月11日土曜日

6.11 脱原発デモ in 富山

 フリージャーナリスト、岩上安身さんの立ち上げたIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)主催『6.11脱原発100万人アクション』完全ライブ中継プロジェクトが富山市でも行われたので家族で参加してきました。
 張り切って自前のプラカードを持って駆けつけては見たものの、東京などと比較するとやはりまだデモに参加すること自体への抵抗があるのか、参加人数も100人ほど。主催者側の意向でシュプレヒコールもなく、DJが反原発ソングをガンガンと流しながら、炎天下の中を黙して歩き続けるというちょっと変わったデモでありました。

 デモに参加したのは私と妻は2回目で、一度目は<アメリカのイラク侵攻を日本が支持することに反対する>デモでした。僕と妻は数日後の3月22日に結婚式を挙げる予定にしていて、まだ子供たちも生まれていませんでした。しかし僕たちの意思表示もむなしく、3月20日にイラク戦争が始まってしまったのでした。

 今回のデモに関して思ったことは、やはり子供を3人連れての参加は大変でした。
 まず、歩くのが早い。できるだけ列を乱さずに警官に誘導されながら歩くのですが、子供の足ではちょっと大変だったかも知れません。もうひとつは途中で飽きてしまうこと。だって歩くだけなのですから。。。
 あと、個人的にはやはりシュプレヒコールやりたかったです。
 リンクから富山市でのデモの様子が見られます。27分辺りで岡崎家がアップになりますよ!

2011年6月9日木曜日

次女保育園遠足

今日、次女の通う保育園のバス遠足がありました。お母さんはまだ赤ん坊の三女の面倒があるので僕が付き添いに。訪れたのは富山市の「とやま健康パーク」です。
屋内の生命科学館はなんだか古臭くていまいちでしたが、屋外施設は敷地が広大で且つ日陰も意図的に作られていて、その中にある人工池とフィールドアスレチックがとても楽しいものでした。今度は家族で遊びに来たいと思います。

2011年6月7日火曜日

子供のいる風景

今年の春から、近くの施設の駐車場に自転車を持ってよく遊びに行っています。
車が一台もない駐車場は格好の自転車練習の場所なのです。
5月の初め頃、小学一年生になったばかりの長女がようやく補助なしの自転車に乗れるようになりました。
と喜んでいたのもつかの間、今度は2歳年下の次女までも補助なしに乗れるようになりました。こ、これには驚き。


そんな訳で今日も(午前2時からパンの準備を始めて11時前に焼き終わり、そのまま水番をしに1時間ちょっと山に行き、くたくたになって帰ってきてから昼食をとり、あ、その前に昼食を作り、そして配達に出発。配達を終えて、小学校と保育園に子供たちを迎えにいき、その子供たちにせがまれて)駐車場にやって来たのでありました。ああ眠い。

パンの紹介

自家製酵母の発酵パン:全粒粉:プレーン


全粒粉のパンは小麦、小麦全粒粉、塩、酵母(酵母を培養する際、餌として「てんさい糖或いはきび糖」が与えられている)、水で作られています。
全粒粉というのは小麦を皮や胚芽ごと臼などで轢いたもので、それに対してそもそもの小麦粉というのは轢く前に皮や胚芽を取り除いてから粉砕したもので、その他にも非常に面倒な工程を経て作られています。お米でいうと玄米と白米との違いに良く似ていると理解してください。
小麦粉だけで作られるパンに比べると、少しザラッとした野生的な食感で、噛めば噛むほどに味が出ます。
ここだけの話ですがRagged ovenで使用している全粒粉は仕込みの当日(焼成の前日)に玄麦を石臼で轢いて使用しています。それが良い方法なのかどうかはよく判らない(というのも轢きたての小麦粉はグルテンが弱いと言われています)のですが、まあ美味しいのでそうやって使っています。

パンの紹介

自家製酵母の発酵パン:全粒粉:プレーン


材料は小麦、小麦全粒粉、塩、酵母(酵母を培養する際、餌として「てんさい糖或いはきび糖」が与えられている)、水

パンの紹介

自家製酵母の発酵パン:全粒粉:プレーン
小麦、小麦全粒粉、塩、酵母、水

2011年6月5日日曜日

発芽しました

はっ、はじめまして、ぼく、とうもろこしですっ!よろしくおねがいしますっ!

ピカピカの一年生のように背筋を伸ばす姿が初々しいトウモロコシはイネ科の植物です。そういわれてみると大きく育ったときの姿も実の付き方もお米と良く似ています。

SUBARU サンバーディアスクラシック’93

我家の愛車、1993年生まれ、スバルのサンバーです。
最近、走行距離15万キロメートルを超えたので、もうかなりのポンコツですが、家族からは『サン婆ちゃん』の愛称で親しまれている軽バンです。
後輪ハブベアリングがガタガタになってしまったので近くの自動車整備工場で交換してもらい、今日無事帰ってきました。
パワーはありませんが四輪駆動にもできるので真冬の豪雪山間地(我家)ではとても重宝しています。
買い物や子供の送り迎えなど日常生活の足替わりとしてはもちろん、パンの配達、薪の運搬、家族旅行に車中泊など。我家の糸魚川での歴史はこの車とともに刻まれているので、すっかり家族の一員のようなものです。

2011年6月3日金曜日

パンの紹介

山型食パン2斤

Ragged ovenのパンの中で一番人気のパンです。
材料は小麦、塩、てんさい糖(またはきび糖)、無塩バター、ドライイースト、水。これをストレート法で一気に捏ね上げることで良い香りのするパンを作ることができます。同じレシピで作る角型食パンもありますが、個人的には角型の方がパンの内側に香りや旨味がきちんと閉じ込められているような気がして好きです。イーストはサフ社のインスタントドライイースト赤(ビタミンC入り)を使用しています。とても香りが良く、使いやすいイーストだと思います。


フランスパン:バタール

小麦、塩、イースト、水のみで作るフランスパンです。焼いたその日のうちに食べるのがベストです。
使用しているイーストはサフ社インスタントドライイースト赤(ビタミンC入り)です。同社のインスタントドライイースト青(添加物なし)もを使ってみたこともあるのですが、
1.膨らみが劣る
2.香りが劣る
3.安定感がない
という結果だったので、やはり添加物(ビタミンC)入りでも赤のほうを使用しています。


今日は市販のイーストを使用したパンの紹介でした。

2011年6月2日木曜日

リブリーについて

「ガジェット金魚」をブログに貼り付け、餌をあげたりして遊んでいたところ、それを見た子供たちが「私たちもパソコンで金魚を飼いたい」と言い出しました。しかしこのブログで使用している金魚は、ブログに付属するタイプのもののようなので、パソコンの画面上でダイレクトに飼育するものではありませんし、何よりもまったく成長しません。そこで独立してパソコンの画面上で飼えるペットのようなものがいないかなと探した結果、たどり着いたのがリブリーでした。


リブリーにはいくつかの種類があって、登録すると島とリブリーが与えられ、その島で餌をあげたり、トイレをさせたり、散歩をさせたりしながら、こつこつとリブリーを育てていくのです。
そうやって子供たちに一匹のリブリーを飼わせてみていたのですが、そのうちに妻までも「私もリブリー飼いたいなぁ」と言い出し、じゃあ僕もということで我家では三匹のリブリーの面倒を見ることになりました。それが上の三匹です(赤いのはリブリーではない)。
ちなみに「みみくに」という島の「いよかん(オレンジ色のやつ)」というリブリーが僕のリブリーですので、リブリーをやっている人は遊びに来てやってくださいね。

2011年6月1日水曜日

水番の記録


山の中には当然野生動物がいます。タヌキやアナグマは民家近くにも出没しますが、ちょっと山に入るとウサギやイノシシ、サルやシカがいるそうです。そして山の中を歩く際に最も出会いたくないのはクマです。
だからこの辺りの人たちは山に入る際には必ず「熊除けの鈴」を持ちます。人がいる気配を感じると動物達は前もって逃げていくからです。水番をする人はさらに山奥に入っていくので、遠くまで音の通る風鈴のような鈴を付けます。僕が使っているのは牛とか羊につけるカウベルですが、そのおかげか僕が水番の仕事を始めてから昨年の4ヶ月間で出会った野生の動物はかわいいリスだけでした。


先日、水番で山に入った際、しばらく歩いてからカウベルを付けるのを忘れていることに気付きました。車まで取りに戻ろうかとも思ったのだけれども、随分歩いてしまったからそれも面倒だし、何しろ今までも動物に出会ったことはないのだから、きっと今日も大丈夫だろう。などと考えていたところ、10メートルほど先のところにある草薮からガサガサッと巨大なカモシカが現れたかと思うと、ボクシングヘビー級チャンピオンのような軽快な足どりで、垂直に切り立つ断崖を駆け登って行ったのです。声を出すヒマも(もちろん写真を撮る余裕も)なく、しばらく全身が凍りついて動けなくなってしまいましたが、とりあえず考え直して、カウベルを取りに車まで戻りました。

パンの紹介

Basic Bread:プレーン
ベーシックのパンは小麦と塩と水と酵母のみで作られています。

2011年5月31日火曜日

パンの紹介

自家製酵母の発酵パン:Basic Bread:プレーン
ベーシックのパンは小麦と塩と水と酵母(酵母を培養する際、餌として「てんさい糖或いはきび糖」が与えられている)のみで作られています。その中でもプレーンはRagged ovenで一番シンプルな配合のパンです。
個人的に一番難しいのがこのパンだと感じています。フィリング(レーズンやナッツなどの具材)が入っていないのでパン自体の味の良し悪しをごまかせないのです。
2cmくらいにスライスしたものを軽くトーストすると市販のパンにはない食感が楽しめます。あっさりしているのでバターやジャム、チーズなどを乗せると良いでしょう。

2011年5月28日土曜日

水番始まりました

昨日から大用水の水番のお仕事が始まりました。
大用水は大昔にこの辺りに住んでいた人たちが、山間地の田んぼに水を引くために、遠く焼山からの雪解け水を山の等高線沿いに(実際には少しずつ下降している)用水路を掘ったことから始まります。
水番とはその大用水の見回りや簡単な整備(水路に落ちた土砂をすくうとか草刈とか)をするお仕事のことです。


今の時期はまだ涼しく、花も見ごろなのでなかなか楽しいものです。

水番始まりました

昨日から大用水の水番のお仕事が始まりました。
大用水は大昔にこの辺りに住んでいた人たちが、山間地の田んぼに水を引くために、遠く焼山からの雪解け水を山の等高線沿いに(実際には少しずつ下降している)用水路を掘ったことから始まります。
水番とはその大用水の見回りや簡単な整備(水路に落ちた土砂をすくうとか草刈とか)をするお仕事のことです。


今の時期はまだ涼しく、花も見ごろなのでなかなか楽しいものです。




2011年5月26日木曜日

苗の移植

かぼちゃと糸かぼちゃの苗を移植しました。
写真の苗は昨年おいしかったかぼちゃの種をポットで発芽させたものです。
移植の際、畝に掘った穴(苗を納めるための)に水をたっぷり浸み込ませることが大切です。


こちらはサツマイモの苗です。これはホームセンターで買ってきたベニアズマという種類のものです。
こちらもよく水を浸み込ませてから挿し木のように畝に差していきます。





2011年5月24日火曜日

パンの日


火曜日はパンを焼く日です。
朝2時から薪で火を焚き、レンガの釜を温めます。とにかく火を絶やさないように気を付けなければなりません。
同時に前日に仕込んだ酵母パンの生地を分割し、それとは別にバタールと食パンの生地をこね始め、そんなこんなでパン焼きの全ての工程が昼の12時ころに終了します。
今日の焼成数は食パン29斤、バタール10本、酵母パン33個、ナン9枚の合計81個。
午後は市内のお客さんの各家に配達に回り、夕方に子供たちを迎えに行ってから我家に帰ります。

くたくたです(笑)。でも楽しいお仕事です。